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東京高等裁判所 平成9年(ネ)2136号 判決

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人らは、控訴人に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する被控訴人株式会社講談社及び被控訴人元木昌彦にあっては平成六年一〇月一三日から、被控訴人早川和廣にあっては同月一四日から各支払済みまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五〇分し、その一を被控訴人らの、その余を控訴人の各負担とする。

三  この判決は一項1に限り仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人らは、控訴人に対し、原判決添付の別紙記載の謝罪広告を、表題の「謝罪文」とある部分並びに末尾の「株式会社議談社」、「代表取締役野間佐和子」、「FRIDAY元編集人元木昌彦」、「右記事の執筆者早川和廣」及び「幸福の科学総裁大川隆法殿」とある部分はそれぞれ明朝体一号活字とし、本文は明朝体五号活字として、週刊フライデー記事中に、縦二六センチメートル、横一九センチメートルの大きさで掲載せよ。

3 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金五〇〇〇万円及びこれに対する被控訴人株式会社講談社及び被控訴人元木昌彦は平成六年一〇月一三日(訴状送達の日の翌日)から、被控訴人早川和廣は同月一四日(訴状送達の日の翌日)から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

5 3項につき仮執行宣言

二  被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

第二  本件事案の概要

次に付加、補正するほか、原判決の「事実及び理由」欄第二に記載されたとおりであるから、これを引用する。

1  原判決二〇頁一行目の「記述されたものである。」を「記述されたものであって、真実を述べたものである。仮にそうでないとしても被控訴人らは右取材結果に基づきこれを真実と信じたもので、そのように信ずるについて相当の理由があった。」に改める。

2  同七行目の「真実であり、」の次に「仮に真実でなかったとしても、被控訴人らは浜野らの取材結果に基づきこれを真実と信じたもので、そのように信ずるについて相当の理由があった。」を加える。

第三  当裁判所の判断

一  本件第一記事部分について

本件第一記事部分は「講談社への常軌を逸した抗議行動以来、初めて公の場に姿を見せた大川氏は、会員たちの動揺と苦悩を自らも感じ取っているかのように、深く傷ついた口調で講演を始めた。」に続いて(1)「私はあなた方に告げる。いま、わが声を聞くものは幸いである。幸いなる者達よ」との聴衆に対する呼びかけ(2)「『救世主』への絶対的な帰依を説」く部分及び(3)「全マスコミに対する批判」の部分から構成されている。

右記事のうち(1)部分が本件講演そのものでなく、当日上映されたビデオの内容の一部であることは甲九八、九九号証に照らし明らかであり、その前の「大川氏は、会員たちの動揺と苦悩を自らも感じ取っているかのように、深く傷ついた口調で講演を始めた。」の部分と併せて事実と異なる記事であるといえなくはない。また、(2)部分のように表現できる具体的発言は本件講演にも当日上映されたビデオにもない。

しかしながら、右各記事部分は、これによって控訴人の名誉を傷つけたと認められる内容ではない。このことは、右記事部分が前記のように事実を正確に記述していなくとも、もとよりこれによって左右されるものではない。控訴人は、第一記事部分について、控訴人に対して主宰者である大川隆法が選民思想を前提に自らへの絶対的服従を説いて、全マスコミを悪魔として敵対関係に立つ過激で危険な集団との印象を一般読者に生じさせるものであると主張する。しかし、一般読者にとっては、宗教家が信仰の対象への帰依を説くことは格別奇異なことではないから、これによって直ちに控訴人が「危険な集団」であるとの印象が抱かれることはない。本件第一記事が控訴人が主張するような印象を与えるとすれば、その要因は、その発言をした機会、時期あるいはその公表の方法ではなく、発言の内容そのものに存するはずであって、右記事(3)のような内容を大川隆法が述べたことを一般読者が知って初めて控訴人の危惧するような印象をもつことがありうるというべきである。そこで、以下大川隆法の発言内容の検討をする。

本件講演の一部である第一記事の(3)部分すなわち「戦う相手は、悪魔の手先であり、権力そのものであるマスコミ。そのマスコミについて『言論の自由という仮面を被った悪魔』と言いたい放題。」との部分は、当日の大川隆法の発言の要約であると認められる。そして《証拠略》によれば、当日の大川隆法の講演中には次のような発言があることが認められる。

「昭和四〇年代の後半より、心ない言論が日本を風靡するに至った、その底にあるものは、今言ったとおり、人間に真なる理想も信仰も求めないただエゴイズムの集積による言論の暴力でもあったと私は思う」「その後、その言論の専制とも言えるファシズムが次第に日本全土を覆うに至った。」「昨今のように銀行界、証券業界、例外を問わず全てのものを圧殺し、彼らの反論を聴く余地も与えないと言う猛威を振るっている。これは大きな大きな恐ろしい力が今動き始めているということなのだ。」「何者にも屈することのない巨大なそしてチェックされることのない権力ができあがりつつあることを知らねばならない。そのマスコミ権力というものは第四権力から今や日本では第一権力となろうとしている」「今猛威を振るっている言論機関には正しい宗教による批判が必要であると私は思う。それを今やらなかったら日本という国は崩壊の危機にある。」「見よ。間違った言論によってどれほどの公害が日本に垂れ流されていることか。そのことによって、どれだけ多くの汚れなき魂が汚染されていることか。その汚染をいったい誰が取り除くのだろうか。」「許す愛とは決して悪魔を許すことではない。悪魔の活動を許すことでもない。その横暴を、その繁殖を許すことでは断じてない。彼らの暴力より、心ある人々を守らなければならないのだ。」「今の権力とは、悪徳なる言論機関そのものであるのです。この悪魔の牙城に対して、断固として抗議しなさい。プロテストしなさい。」「よいですか。信仰とは戦って初めて得られるものです。」

以上の発言内容は、要するにマスコミを現在の我が国で強大な権力と化し、誤った言論を駆使して悪魔としての活動をしている存在と規定してこれと戦うことを求めているのであるから、(3)部分の要約は概ね正確なものということができる。そうであれば、第一記事(3)の部分が仮にその内容において控訴人の名誉を侵害するものであるとしても、社会的に少なからぬ注目を集めている教団である(この点は公知の事実である。)控訴人の主宰者である大川隆法の発言の報道として公共の利害に関し、かつ、公益を図る目的をもってなされた報道として、右記事の掲載は違法性を帯びるものではなく、これについて被控訴人らの責任を問うことはできない。

また、右発言部分がマスコミ全体を対象にするものではなく、被控訴人講談社のみを指すものであるとの控訴人の主張は、本件抗議行動等当時の控訴人、被控訴人講談社間の紛争をよく知る立場にいた者にとってはそう理解することが不可能ではなかったとしても、当日の大川隆法の発言がなんらの註釈も限定もなく「マスコミ」の語を用い、またそれが「日本全土を覆うに至り」「全てのものを圧殺し」たと述べている以上、記事の執筆者がこれを「全マスコミ」と言い直したことが明らかにその趣旨を歪めるものということはできず、これをもって被控訴人らを非難することは当を得たものとはいえない。

次に「『あれはフライデーだけでなく、全てのマスコミヘの挑戦状だと思いました。他の新聞記者達も唖然としていました』(新聞記者)。まさに『マスコミは悪魔ですか?』と問いたいところだ。」との記述部分は、右大川隆法の発言に関する感想を記したにすぎない上、右感想の対象となった根拠事実は、既述のとおり右記事中に明らかにされ、その真実性も立証されているといえるのであるし、当該事実に基づいてそのような感想を抱くことも格別不合理とはいえないから、右感想を述べた者の氏名等が具体的に明記されていなくても、これについて被控訴人らの責任を問うことはできない。

二  本件第二記事部分について

本件第二記事部分である「『大川氏を多少は信じていた』という会員は、最近の大川氏の変貌ぶりを、こう語る。『当初は、いい取り巻き連中がいたから慎重に振る舞っていたと思う。ところが最近は、取り巻きがイエスマンばっかりで、ブレーキをかける人がいない。だから、言うことや態度が大きくなるんです』」は、専ら大川隆法個人の言動やその取り巻き(原告の組織の幹部の趣旨と解される。)と表現されている不特定複数の者らの言動に対する批判であり、大川隆法の最近の態度が大きい、しかもそれが周囲の人間の影響を受けたためであると理解される右の部分の表現は、抽象的なものであって、ほとんど個人的な好悪の印象を述べたものに近く、法的保護に値する程に同人あるいは同人の主宰する宗教団体である控訴人の名誉を害するものということはできない。右記事によって大川隆法個人の名誉感情が害されることは否定できないとしても、右記事の内容からすると右名誉感情に対する侵害は社会生活上受忍すべき程度のものと思われるのみならず、名誉感情そのものは大川隆法個人の人格に帰属するものであって、これが害されることにより、同人と密接な関係を有するとはいえ別個の法人格である控訴人が何らかの法益侵害を被るものとはいい難いから、結局、右記事を掲載することが控訴人に対する不法行為を構成するものと認めることはできない。

三  本件第三記事部分について

1 本件第三記事部分は次の四部分から構成されている(当事者間に争いがない。)。

(1) そんな大川氏に利用されて、斬られていった人も少なくない。

(2) そこには教団のために物心両面で援助し、かつて会報にも名前の載った「恩人」すら含まれているのだ。かつて「三人の大黒天」の一人とまでいわれたが、退会届を叩きつけた高橋守氏(ユスモ印刷工業社長=当時)も、その一人である。

(3) 88年7月、幸福の科学出版を株式会社にして、やがて収益も上がろうというときに、高橋氏は印刷から版権まで、すべての仕事を奪われてしまった。つまり、幸福の科学側の弁護士から「印税等1千万円を1週間以内に支払え」との内容証明郵便が送られてきたのた。幸福の科学が利益の独占を狙ったのだろう。しかし、当時の高橋氏は、大川氏への印税など一括して払える状態にはなかった。突然のしっぺ返しについて、高橋氏は冷静にこう語る。「神を標榜する方々が、あのような暴挙を仕かけてくるとは思いもしませんでした。おまけに、その話し合いの最中に、取次に対して『すでに高橋氏と太陽出版の了解を得ている』と、勝手に嘘をつき、口座を開いていたんです。」

(4) 「彼らには社会常識が通じないんですよ」

2 本件第三記事部分の(1)は(2)(3)において具体的事実を摘示した高橋の一件のほかに類似の事例があるとの事実を記載しており、第二記事部分とのつながりから、(1)(2)の部分はいずれも大川隆法の行動を記載してはいるが、(3)部分と相まって教団のために尽くしてきた会員を教団の利益のために切り捨てたとの趣旨と理解できるので、控訴人の名誉を毀損する内容であるということができる。なお、被控訴人らは(3)の部分で「利益の独占を狙った」とされている主体は幸福の科学出版であって控訴人ではないと主張するが、右記事を通常の読者の注意力をもって読む場合、法形式上の主体はともかく、実質上控訴人が利益の独占を狙ったと述べる趣旨と受け取れるから、右主張は採用することができない。

3 ところで、事実を摘示する記事によって人の名誉を毀損した者は、その記事が公共の利益に関するものであること、その掲載が専ら公益を図る目的に出たものであること及び当該記事の内容が真実であったかこれを真実と信ずる相当の理由があったことを証明した場合に限り、不法行為責任を免れることができると解される。

4 そこで公益性について検討するに先立ち控訴人と被控訴人講談社との関わりについてみるに、この点については、原判決三五頁二行目から三八頁二行目末尾までのとおりであるからこれを引用する。

右引用に係る認定事実によれば、本件第三記事部分は、控訴人の信者に対する対応を取り上げて、本件抗議行動後の控訴人のマスコミに対する見解を記述した本件第一記事部分と併せて宗教法人としての控訴人の姿勢を公衆に伝達し、かつ、これを批判することを目的として掲載されたものとみることができるから、公共の利害に関し、公益を図る目的を持ってなされたものと認められる。

5 被控訴人講談社は、平成三年五月ころから控訴人に関心を持ち、発行する雑誌に控訴人に関する記事を掲載するようになり、週刊フライデーでも同年七月頃から被控訴人早川に執筆を依頼し、週刊フライデーの記者が取材して作成した原稿を被控訴人早川がとりまとめて最終的な記事に仕上げる方法で一連の記事を掲載することにしたが、週刊フライデーの同年九月一三日号を発行した直後の同年九月二日本件抗議行動が発生したことから、これまでの訴外浜野を担当編集者とし、右早川を含めた四人で構成していたチームを六名構成に強化し、同月一一日に取材方針を立て、右抗議行動後氏名不詳者から頻繁に寄せられるようになった控訴人の内部告発的な情報も利用して取材を開始した。訴外浜野は、平成三年九月一〇日頃訴外高橋と電話で打ち合わせ、一四日頃被控訴人講談社の記者である訴外山岸明夫とともに訴外高橋に対して三、四時間ほど取材し、本件第三記事中の(2)ないし(4)に沿う内容の供述が得られた。その際、訴外高橋からは大川隆法から同人宛の書簡と控訴人と密接な関係にある幸福の科学出版株式会社の代理人弁護士から同人に宛てた内容証明郵便の封筒のみを見せられた。そして訴外浜野は、当日訴外高橋の取材内容について、記者山岸が訴外関谷に真偽を確認してきたことで裏付けが得られたと考えて右取材に基づき右記事の原稿を書いて被控訴人早川に渡したが、訴外浜野らは、右高橋の供述についてその裏付けのための控訴人に対する取材は行わなかった。その理由を被控訴人らは控訴人に対する取材が事実上不可能な状態にあったと主張する。確かに先に見たとおり平成三年九月二日以降は被控訴人講談社側と控訴人は激しく反目していたが、これより以前の同年八月七日頃には控訴人側で被控訴人講談社に対し、取材に応じる前提として当初提示していた大川隆法の著書を読んだ感想文の提出や原稿の事前閲覧の条件を撤回して取材に応じる旨述べた経緯もあったのに、取材申込みすらせず、また、訴外高橋から示された内容証明郵便の封筒を手掛りに関与していた双方の弁護士を知ることは可能であったと思われるのに、訴外高橋に弁護士の名を問い質そうとする姿勢もみられないなど裏付け取材は不十分であったといわざるを得ない(たとえ控訴人が取材に応じない可能性があったとしても、激しい対立関係が既に生じている相手方に関する記事を書くには一層の慎重さが要求されるのであり、そうでなければ無責任な単なる意趣返しの記事に終わる危険がある。)。しかも、訴外高橋は、幸福の科学出版株式会社の役員になれなかったことに対する不満から昭和六三年の夏頃には控訴人を脱会して、大川隆法ないし控訴人とその書籍の出版を巡り約一年間にわたる交渉の末、弁護士関与のもとに昭和六三年一二月二八日訴外高橋が大川隆法に対し一定額の著作権使用料の支払を約束することで示談が成立した者であり、被控訴人としても右紛争の存在そのものは認識していたものであるところ、そのような紛争の一方の当事者だった者のみからの取材では事実が正確に述べられない危険性があることは容易に看取できるところである。それにも拘わらず、紛争に深く関与したことも窺われず、その供述の信用性が必ずしも高いとは思われない訴外関谷ほか一、二名からの(特に関谷については、幸福の科学出版株式会社が設立された前後の事実関係を取材したのではなく、訴外高橋からの取材内容の当否を包括的に確認したという程度のものである。当審証人浜野)取材で、訴外高橋の供述した事実関係を事実であると信じたとすればあまりにも軽率であり、被控訴人らが取材源の秘匿義務を負っていることから訴外関谷以外の情報提供者の氏名を明らかにできないことを考慮しても、右記事の内容を真実と信じたことについての相当な理由があったとは認めることができない。

また、第三記事の(3)の「おまけに、その話し合いの最中に、取次に対して『すでに高橋氏と太陽出版社の了解を得ている』と、勝手に嘘をつき、口座を開いていたんです。」の記事についても、太陽出版社等から取材を拒否されたことと、当時の様子を知っている人がいなかったことを理由に裏付け取材がなされていないのは、前記(3)の外の部分と同様である。

次に、前記事実及び《証拠略》によると、第三記事(2)の「退会届を叩きつけた高橋守氏」の部分は真実でない可能性が高く、「幸福の科学出版を株式会社にして、やがて収益も上がろうというときに、高橋氏は印刷から版権まで、すべての仕事を奪われてしまった。」との部分に該当する事実関係についても、訴外高橋の側に控訴人の主張に見られるような不信を招く行為があったとの見方が成立する余地がないとはいえず、右記事が真実であることを認めるに足りる証拠はない。また、「つまり、幸福の科学側の弁護士から『印税等1千万円を1週間以内に支払え』との内容証明郵便が送られてきたのだ。」との記事については右に該当する事実は認められるけれども、右記事は、その前後関係(殊に訴外高橋が右事実を指して「暴挙」と述べたとの記述部分)から、これを読む者に、控訴人には訴外高橋に対する一〇〇〇万円の請求権がないか、そうでなくても、右請求権の行使が不当なものであるかのような印象を与えるものであり、これを前提として、右内容証明郵便が送付された理由について触れないまま控訴人が訴外高橋から仕事を奪ったと断定している部分は、文脈全体としてみると真実性の証明があるということはできない。また右(3)部分を「突然のしっぺ返し」と表現した部分は、そもそも右に見たように控訴人との間に事実認識や法解釈の相異・対立があった訴外高橋の側からみた一方的な事実関係の見方に立脚する意見表明であるから、不相当な表現というほかない。そしてまた、訴外高橋が控訴人に所属する者らを指して「彼らには社会常識が通じないんですよ」と述べたとの(4)記事部分は控訴人と抗争中であった訴外高橋の談話として記述されており、右のような関係にある者の相手方についての評価を報ずるものであることを考慮すれば一般に許容の範囲内にあるものといえなくはないが、本件では、その前提となっている事実が右のとおり訴外高橋の一方的な視点からのものであることと相まって控訴人の社会的評価を低下せしめるものであると認められる。

6 なお、右記事のうち(1)部分については高橋の外に「大川(隆法)に利用されて、斬られていった」人物がいることについての主張も立証もない。

7 以上によれば、訴外浜野らが作成した原稿に基づきこれを最終的に本件第三記事にまとめた被控訴人早川を初め被控訴人らが右記事に係る事実を真実であると信じたとしても、宗教団体に関する記事を多数執筆掲載し、控訴人とかねてから対立関係にあってその内情について取材を重ねており、また、本件記事に関する取材の具体的状況も容易に知り得る立場にあった被控訴人らとしては右記事の執筆掲載は軽率にすぎたという批判を免れないのであって、被控訴人らに記事の内容が真実と信じたことについての相当の理由があったとも認められない。

四  被控訴人らの責任において

被控訴人講談社は右記事が掲載された週刊フライデー一〇月四日号の発行元として、被控訴人元木は右フライデーの編集者として、被控訴人早川は右記事の執筆者としていずれも控訴人に対して名誉毀損による不法行為に基づき右控訴人の損害を賠償する義務がある。

五  控訴人の損害について

以上によれば、控訴人は、宗教法人としての名誉を少なからず傷つけられたものと認められるが、その損害は謝罪文を掲載させるのを相当とするほどのものではなく、金銭の支払を受けることによって慰謝される性質のものであると解される。そして右金額は一〇〇万円をもって相当とする。

なお、本件訴状が被控訴人株式会社講談社及び被控訴人元木については平成六年一〇月一二日に、被控訴人早川については同月一三日にそれぞれ送達されたことは記録上明らかである。

第四  結論

以上の次第で、控訴人の本件請求は被控訴人らに対し各自一〇〇万円とこれに対する不法行為の後である本訴状送達の日の翌日から民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余はいずれも理由がない。よって、これと結論を異にする原判決を右の限度で変更することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加茂紀久男 裁判官 大喜多啓光 裁判官 合田かつ子)

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